私はこれまで27歳、29歳、30歳、37歳、43歳で5回の転職を経験してきた現在50代半ばの会社員です。
私のこれまでの転職人生をお話しします。
20代の頃、日本はバブル時代。
世の中は景気がよく街中が活気づいていました。
大手企業の新卒採用は1000人以上という、今では信じられないような状況です。
そんな中、運良く大手事務機メーカに就職できた私は、たくさんお給料をいただいておきながら、毎日あくせく働いたわけではなく、”お茶くみ”が業務でした。
もちろん残業などあるはずもなく、夜になると上司に誘われて会社のお金で飲みに行くという毎日でした。
本当にそういう時代だったのです。
しかし、いつまでもそんなぬるま湯生活を送っていたかった私に転機が訪れます。
同じ会社に勤める男性と結婚することになったのです。
当時は社内恋愛・社内結婚はご法度でしたので、社内結婚した場合はどちらかが退職するという暗黙のルールがありました。
そこで、(どうして私が辞めなくちゃいけないの!)と強く思いながらも、泣く泣く退職したのは私です。
”男は外で働き、女は家で家事と子育て”という風潮が根強くあった時代ですから。
転職人生の始まり
結婚当初、地方に住んでいた私たち夫婦は、夫の異動で東京本社に戻りました。
東京は右も左もわからない田舎者の私でしたが、バブル崩壊直後で地方での転職が難航していたこともあり、東京に来てすぐに向かったのが派遣会社でした。
登録3日後。
担当の方から「外資系の証券会社で紹介派遣ということでお仕事しませんか?」とご連絡をいただきました。
(え〜っ、こんなに早く?しかも、外資系って何?)と不安と動揺はあったものの、怖いもの見たさ感覚で面談に向かいました。
紹介派遣とは最初の3カ月試用期間中は派遣社員として雇用され、試用期間後は正社員雇用になるということ。
私にとっては初めての雇用形態でしたが、その会社で事務職として働くことになりました。
外資系ということもありましたが、とにかく仕事は厳しいものでした。
今までお茶くみしか経験のない私にとっては、パソコン入力から何もかも一から学びなおしの毎日。
しかし、それが礎となり後々のキャリアアップへとつながっていったのです。
ところが、ようやく仕事にも慣れてきた、ある朝。
いつものように出社すると、パソコンはロックされ、机の上には段ボールが置かれていました。
私の所属する日本株式部の突然閉鎖による解雇でした。
(え?解雇ってクビってこと?)
ショックのあまり何が起こったのか瞬時には理解できず、まるで外国映画を観ているような感覚でした。
その時、会社からわれわれに手渡されたのは転職エージェントのパンフレットでした。
パンフレットを握りしめ、会社を出たその足で真っすぐエージャントに向かいました。
ベテラン男性社員は、突然の解雇で不安になっている私を慰め、細かく転職のアドバイスをしてくださいました。
新しい職場は、プライベートバンクでした。
こんな銀行が、世の中に存在することを初めて知りました。
しかし、夫の突然の転勤によりまたしても退職せざるをえなくなったのです。
(どうして、また私なの?どうして?)と納得できず、悔しい思いでいっぱいでした。
その後、なかなか新しい仕事を見つけられずに無職のまま第一子を出産。
仕事をしたくても幼い子を抱えた地方出身者の私を採用してくれる企業はなく、悶々としながら子育てに専念していました。
そんな時、以前の勤め先でお世話になった先輩から「事務に一人欠員が出たから、ウチの会社にこない?」とお声をかけていただき、ようやく社会復帰することができたのです。
それから数年後、第二子を出産
仕事は続けるつもりでいましたが、頼りの保育園に空きがなく無念にも退職。
(もう、女は働くなっていうことなのかもしれない・・・)と諦めに近い思いでした。
それでも保育園の申し込みだけは諦めずに続けていたら、なんと、入園が決定。
上の子が小学生になっていたので、自宅から近い職場を探しました。
が、その時すでに私は40歳。
事務職の募集は全くというほどなく、営業職しかありませんでした。
(営業の経験はないし、困ったな・・・)と思いつつも、(でも、もうやるしかない!)と覚悟を決め、”未経験者歓迎。研修制度あり。”という会社を見つけて応募しました。
結果は合格。
しかし、過酷な毎日が待っていました。
保育園の送り迎えをしながらの勤務。
しかも、生まれて初めての営業職。
覚えることが山のようにあるうえに、社内資格も期限までに取得しなければなりません。
毎晩、子供たちを寝かしつけた後に試験勉強が始まります。
下の子はよく夜泣きをする子でしたので、泣くたびに抱っこしながら勉強しました。
そんな苦労を重ねながら月日は流れ、夜泣き虫だった下の子も小学生になりました。
私の営業実績も積み上がり、仕事はまさに波に乗っていたちょうどその時。
学童保育所から電話がかかってきました。
「お宅のお子さんは手に余りますので、もうこれ以上はお預かりできません!すぐにお迎えに来てください!」と、指導員からの一方的な電話でした。
それから数日間、学童保育所と親子で話し合いをしましたが、折り合いがつかず退所することに。
そうなると、当然、私は仕事を辞めなくてはいけません。
またしても退職です。
仕事も順調だっただけに、(どうして、いつも私ばかりこんな目にあうの!)と悔しさが込み上げました。
しかし、(今は子育てに専念しよう!いつか、絶対に復帰してみせる!)と、心の中でひそかに闘志を燃やしていたのです。
50歳を過ぎた今
現役のフルタイム勤務の会社員です。
前職の時に取得した資格を生かし、同業他社へ入社。
家族に振り回されずに、やっと自分の仕事に専念できる時がやってきたのです。
思い返すと、これまで数多くの転職を繰り返しました。
退職を迫られた時はとても悔しい思いをしましたが、今となればそれも含めて良い経験だったと思います。
そのおかげで、キャリアも収入もアップしたわけですから。
日本では、まだまだ転職回数が多いことを良しとしない風潮があります。
しかし、転職は悪いことではありません。
自分が自分らしく働ける職場、たとえ収入がダウンしてもやりがいのある仕事など、人それぞれ仕事に求めるものは違いますので。
現代は共働き夫婦が増え、男性も家事や育児に積極的です。
理解のある会社も増え、羨ましい時代になりました。
とは言え、まだまだ女性が家庭を理由に退職を余儀なくされることは多いでしょう。
そんな時は焦らず、じっくりチャンス到来を待てば大丈夫です。
そして、いつか転職するかもしれない時のために、今の職場で身につけられるスキルをしっかり習得して自分の宝にしてください。
そうすれば、転職も怖いものなしです!
おはぎママさんへインタビュー
女性が経験するキャリアの壁のほとんどをお一人で経験されていて大変さが伝わる体験談をありがとうございました。
いくつかご質問をさせていただきたいです。
これまで5社へ面談し5社とも全て採用されていますが面談ではどのようなところが内定につながったと思いますか?
全て正直にお話したことだと思います。
前職を辞めた理由、現在の自分のスキル、そして新しい会社で何に挑戦したいのかを包み隠さず、自分を飾らずにお話しました。
相手は面接のプロですからね、嘘をついてもすぐに見破られますから。(笑)
なるほど、話を盛ったり嘘をつかないことが伝われば入社後も誠実に働いてくれそうな印象を持てそうですね。
資格もいろいろお持ちであると伺いましたが特に43歳の頃に資格を生かした転職をなされたそうですね。
どのような資格が転職に有効でしたか?
・証券外務員1種
・FP2級
・保険外交販売員
上の資格は転職に有効だったかと思います。
最近となって転職回数については寛容な会社も増えてきたかと思います。
しかしおはぎママさんが転職していてマイナスイメージを転職時に持たれてしまったりはありましたか?
もしそうである場合はどのように転職回数が多いことについて先方へ伝えましたか?
勿論、ありましたよ。
まずは、「転職が多いですよね〜。」の面接官の一言から面接が始まりますから。
でも、転職の理由をキチンとご説明し、その度にキャリアアップしてきたこともしっかりアピールしました。
女性は特に人生のイベントと共にキャリアを断念しなければならないケースも多いです。
しかし会社によってはありのままにお話することで転職でき、またおはぎママさんのようにキャリアアップもできているケースもあるのはこれからイベントでキャリアについて悩んでいる方達にとって参考になるのではないでしょうか。
※おはぎママさんは「テンプスタッフ」という転職エージェントを利用したそうです。