体験談

【医者にいわれて気がついた】介護職を辞めて事務職になった話【自分を大切に】

【医者にいわれるまで気がつかなかった】介護職を辞めて事務職になった話

転職満足度10点点/10点

どんちゃん 女・21歳の頃(現27歳)

職業: 介護職→事務職

年収: 250万円→300万円

従業員規模: 100人→130人

これは私が初めての就職先である特別養護老人ホームを辞めて、事務に転職したお話です。

知人の紹介で未経験の介護職へ

私は、とある事情で専門学校を中途退学。
その後はアルバイトを掛け持ちしたり、資格を取ったりして過ごしていました。資格を取得したものの、その業務の経験はありません。求人を見ても経験者募集の文字ばかりが並んでいました。

(未経験の上に、中途退学した人を簡単に受け入れていれる職場はなかなかないだろうな)

そんな風に今後について悩んでいたときでした。
姉の知人が介護職の正社員で働いてくれる子を探しているとのこと。

介護業界は、当時から「きつい・汚い・危険」の「3K」といわれており、給料も安いといわれていました。

不安要素はたくさんありましたが(本当に我慢できなかったら辞めれば良い。やってみよう、きっと中途退学だけよりも職歴があった方が良いはず!)こうして私は介護の道に進みはじめました。

実際に働いてみると、思ったよりも平気でした。介護というのは、基本的には生活です。

異常がなければ穏やかに時間が過ぎていきました。もちろん、ゾッとするようなこともたくさんありました。

オムツを触る方がいて、服からシーツまで便まみれだったり、夜勤中に突然入居者さんの太ももにアザができていたりとヒヤヒヤしたことも。
ただ、それよりも毎日の入居者さんとの会話や少しずつ築かれていく信頼関係に喜びや楽しさを感じていました。

人が足りない!1ヶ月の自宅療養に

そうして1年ほど過ぎたころ、あの季節がやってきました。インフルエンザです。

現在はコロナウイルスの影に隠れてしまっていますが、介護施設でインフルエンザが出ると入居者はもちろん、職員もバタバタと倒れることが多いです。

もともと少人数でまわしていた交代勤務は機能しなくなり、毎日のように早出や残業をすることが多くなりました。

入居者さんがインフルエンザになると個室で隔離されるのですが、これがとても大変。
インフルエンザにかかった方が食事介助が必要な場合は、本来の食事場所と行ったり来たりを繰り返さなければならないのです。

立ち歩いて転んでしまう可能性がある方がいる上に、他にも食事介助が必要な方が待っている。完全に人手不足でバタバタでした。
数週間して、スタッフが完治し通常の勤務に戻りましたが私の疲れはこの後にやってきました。

夜勤明けのある日、身体が重くて布団から起き上がれなくなったのです。昼ごろに目は覚めたのですが、どうしても起き上がれないのです。

身体が痛くてつらくて、諦めてもう一度眠ることにしました。そして夕方になり、さすがにそろそろ起き上がろうとするも身体が痛くて重たくて動きません。

結局、2階にある自分の部屋から這うようにリビングに向かいました。試しに熱を測ってみたところ「39度?!」平熱が低い私は驚いて測りなおしましたが、39度に変わりはありません。

「そりゃだるいわけだわ……」次の日は早朝から仕事だったのですが、この状態で行って入居者さんに移してしまっても迷惑なので、仕事を休み病院に行くことになりました。

翌日、熱はすっかり下がり平熱になっていました。病院に行き、念の為にインフルエンザの検査を行うも陰性。(あの高熱は何だったのだろう…)

インフルエンザでもなく、高熱も下がり回復したので翌日から出勤。何事もなく1日、仕事をして帰宅しました。

翌朝のことです。悪寒と下痢が止まらないのです。寒くて着込んでも着込んでも歯が震えてガチガチと鳴り、一度食事をするとトイレから出られない。

(また仕事を休んで迷惑をかけてしまう……)その当時はずっとそんなことを考えていました。

仕事を休んで病院に向かうと「ノロウイルスだったんですね!」と言われ、薬をもらい帰宅。
ノロウイルスでは出勤できないので、薬を飲みながら自宅で療養していました。

しかし、何日経っても体調は良くならず、病院でも原因不明。大きな病院へ転院することになりました

転院後も血液の数値が異常値であることしか分からず、手当たり次第に検査をする日々。
結局原因は不明のまま、1ヶ月自宅で療養していました。

医師の言葉と転職を後押ししたできごと

ようやく血液の数値が正常値に戻り、出社許可がおりました。肝機能が悪かったこと以外は分からないままの復帰でした。

私はこれから今までの分を取り返すくらい働かないとな、と気楽に考えていたのですが、医師から思わぬ言葉がありました。

「不規則な生活は辞めた方がいいです。日勤だけにしてもらうことはできないですか?もしできないのであれば職を変えるのも検討してください。」

そのときにやっと(あ、私の体調不良ってそんなに大事なんだ。)と気づけたのかなと思います

その後、職場復帰。医師からは日勤のみを勧められたものの、給料の関係でそんなわけにもいかず、元通りの交代勤務をこなしていました。

ただ、少しずつ別の職についても考えるように。
また、私が大好きでずっと介護をさせてもらっていた方々が、ちょうどそのころに立て続けに亡くなりました。

とても寂しく、悲しい。そして、何だか(大好きな人たちを見送ることができた。私の役目が終わった……)そう感じたのです。これが退職の後押しになりました。

退職は思ったよりもスムーズで、1ヶ月前に上司に伝えてきっちり1ヶ月後に辞めました。

交代勤務からOL生活へ

辞めてからはハローワークで紹介された事務系の公共職業訓練に参加しました。

そこで資格を取得し、運良く事務の仕事に就職することができました。週5日で8時から17時。
土日祝日はお休み。食事補助も出て、さらに給料も介護職時代よりも数万円アップしました。

ボーナスも合わせるとかなりの差があるので、(夜勤をしてあの金額しかもらえていなかったあのころの私って一体……)と切なくもなりましたが、あのタイミングで介護士を辞めて転職して正解だったなと思います

もちろん事務の仕事でも大変なことはありますが、見合った給料をもらえている上に、福利厚生がしっかりしていると感じます。

何よりも身体が楽になりました。
この経験から私は、自分の価値を低く設定せずに、広い視点で自分にベストな仕事選びが大切だと学ぶことができました。
また、自分の身体は大切にしていこうと思うようになりました。

どんちゃん氏へインタビュー

編集長

介護職の大変さが伝わってくる体験談ありがとうございました。

いくつか質問があるのでお願いいたします。

職業訓練校を通じて事務職をみつけられたそうですが仕事はハローワークで紹介されたものから見つけたのでしょうか?

また、面談などで工夫したことがあれば教えていただきたいです。

どんちゃん

職業訓練はハローワークで見つけたものです。

事務系を希望したところ、紹介していただきました。面談で気をつけたことは、どんな質問も前向き長所に変換して話すことです。

また、集団面談でしたので他の方の意見と同じだった場合は「先ほどの方と同じで〜」といったように自分以外のときも話を聞いていますよというアピールをしていました。

スーツを着用していきましたが、私服の方も合格していましたので合否に関係はないようです。

これはあくまで私の考えですが、不合格だった方は話はまとまっていないうちに発言してしまい、時間を割いていた気がします。

編集長

なるほどですね。次の質問ですが職を探すにあたりハローワークを選んだのには何か理由はありましたか?

どんちゃん

ハローワークを選んだのは、住んでいる場所が地方だったことと私に学歴がなかったことの2点です。

東京や大阪ですと転職サイトにも多くの求人があるのですが、地方ではあまり数がありません。

また基本的には大卒前提のサイトが多いです。

地元の中小企業の求人も多く扱っており、高卒からの募集が転職サイトより多いハローワークを選びました。

編集長

地方だと求人の量が減ってしまいますよね。
学歴でのフィルターだけでなく転職エージェントも都心部に集中していますし。

最後に、過去の自分のように介護職でツライと感じている人がいたらなんとアドバイスしてあげますか?

どんちゃん

介護職はやりがいがありますし、現在でも経験していて良かったなと思う場面が多くあります。

ですが、一番大切なのは自分です。もし精神的に、身体的につらいのであれば逃げても大丈夫。

私のように制度を利用して、違う仕事にチャレンジしてみるのもいいと思いますし、少し休んで別の職場で働いてみるというのもいいと思います。

「自分を守ること」を第一にして考えるようにしてほしいです。

編集長

健康あってこそ。本日はありがとうございました。