これは仕事のできるキャリアウーマンを目指していたのに会社の暗黙のルールによってどんなに良い仕事をしても23時まで残業しなければならず精神的に参ってしまい転職したところ、満足のいく会社へ転職できた話。
憧れのキャリアウーマンを目指していた頃
高層ビルが敷き詰め合うドラマに良く出てくる憧れのオフィス街で、20代の私はハイヒールとパンツスーツに身を包み、営業職として大手IT企業に勤めていました。
営業と言ってもモノを売る仕事ではなく、情報システム開発やソフトウェアの導入、Webサイトやコンテンツ制作といったサービスをお客様に提案・販売・フォローを行うものでした。
専門的な知識を要する業種ではありましたが、とにかく「デキる女」「キャリアウーマン」になりたかった私は、時代の最先端をいくITビジネス用語を勉強し、毎日背筋を伸ばして朝から定時まではずっと外回りをしていました。
また、新卒の時はお客様から3~4年目に間違われることも多々あり、心の中でガッツポーズをよくしていました。
それがやりがいであったといえばやりがいだったのかもしれません。マズローの欲求5段説におけるまさに頂上「自己実現欲求」を満たせた状態だったと言えます。
出社したら23時が来ないと帰られない日々
「営業職は終業時刻までは会社に戻ってくるな。」という社風だったため、私は日中ほとんど外回りをしていました。
18時過ぎに帰社してからは終電ギリギリまで事務作業や先輩の業務フォローをするという毎日です。
営業手当があったので残業代というものは存在せず、また当たり前のように先輩の手伝いも発生していました。
そのため「今日やるべき自分の仕事を終えたら終わり。」
ではなく「仕事を終えていない先輩の仕事を手伝わなければならない。」
という暗黙のルールによって、どんなビジネス書にも書いてある効率的な仕事術はほとんど通用しませんでした。
体力的には問題なかったのですが
(寝たら明日が来て会社に行かなくてはならない)
(出社したが最後、23時過ぎまでは帰れない)
という強迫観念に近い思いは少しずつ募っていったように思います。
生きていくための仕事のはずが、生きる力を失うものに変わっていた
入社して3年ほどが経過した時、私は身内の不幸とその影響で、立て続けに自身も体調を崩してしまった時がありました。
ある日の朝、ちょうど忌引き休暇明けの日だったのですが、私は体調不良でお休みを頂きたいことを告げるため、上司(女性)に電話をかけました。
「ふざんけんなよ。」
電話の向こうで上司はそう言い放ったのでした。「これ以上休むことは許さない、早く来い。」のようなことを言われたと思います。
その後、私は何とか必死に出社したのですが、すぐに上司からミーティングルームに呼び出され
「24時間拘束されているわけではないのだから、忌引き休暇中も自宅で仕事は出来たはずだ。」
「先輩たちに仕事を押し付けてこれ以上休もうとするなんてふざけている。」
ものすごい剣幕でこのようなことを言われ、私は自宅へ帰る途中、パニックに陥り倒れてしまいました。
人生で初めての救急車でした。遠くで響くサイレンを聴きながら
(あの上司から離れないとダメになる。)
と思いました。
その後、会社に異動の相談をしたのですが受け入れてもらえず、またその申し出が上司の心証を悪くし、私はどんどん職場で生きた心地がしなくなっていきました。
そして私は退職を決意したのでした。
「妥協しない、焦らない」転職活動
有給休暇を消化し退職した後、私はCMや電車広告で良く見かける大手転職エージェント2社に登録しました。
複数登録してもよかったのですが、たくさん送られてくるメールをさばききれないと判断したためです。登録時、私は退職理由も希望条件も正直に記載しました。
勿論コーディネーターとのカウンセリングでもです。
退職理由
- 過度な残業
- 上司との人間関係
希望条件
- 生産性を重んじる社風であること
- 残業は可能だが残業代がきちんと支払われる職種
以上の内容が転職に不利になろうとも、せっかくイチからやり直せる機会なので、採用してもらうことに重きを置いて嘘をつくことは避けようと心に決めていました。
無理をしても同じことを繰り返す気がしたのです。
もし、自分の提示した条件や理由が転職の足枷になるとコーディネーターが判断した際には「その時対策を講じればよい。」「もしくはエージェントを変えよう。」と考えていました。とにかく
「妥協しない、焦らない。」
この言葉を何度も自分に言い聞かせ、手帳にもメモとして忍ばせていました。
いくつか紹介を受けた企業でも面接をして下さった方の第一印象にくわえ、表情や口調も私にとっては重要な判断材料でした。
少しでも面接官に委縮してしまうような空気を感じたらその会社にご縁があったとしても
(同じ目に遭うかもしれない)
という自分の気持ちに正直になり、そのことをコーディネーターに伝えていました。
コーディネーターの方は妥協案を進めたり私を諭すことなく、正直な思いを汲んで案件を紹介して下さりました。
そして社会的な評判や口コミだけでなく、コーディネーターさんから見ての会社や人の印象を丁寧に教えて下さいました。
私はコーディネーターさんにとても恵まれたと思っていますし、今でも感謝しています。
そうして数社受けた後、ご縁のあった広告代理店で私は勤続10年年目を迎えることが出来ました。心身共に20代のあの頃より、ずっとずっと健康的だと確信を持って言えます。
あきてぃ。さんへインタビュー
会社の暗黙のルールで大変だったようですね。いくつか質問があるのでお尋ねさせていただきたいと思います。
生産性を重んじる社風という条件で見つけた転職先ですがどのようなところが生産性を重視してくれていると思いましたか?
・上期下期に実施するMBOという評価設定において、業務の分量とそれにかけたリソース(労働時間)をどのように短縮し、効率化したか、という点が評価対象になっていたこと。
・チーム内の助け合いは必要だが、後輩が先輩の仕事を強制的に手伝わなければならないという文化醸成がなされていないこと。
・業務の属人化を限りなく努力し、誰であっても一定のクォリティに業務をこなすためのマニュアルや研修、サポート制度が整っていること。
・22時以降の業務禁止がルール化されており、やむを得ない場合であっても個人の能力が責められる前に上司の業務差配、マネジメントについて人事からアラートがかかるという仕組みになっていること。
こうしたところを踏まえて生産性を重視しているなと判断しました。
転職エージェントを通じて現在の会社を見つけられたとのことですが利用したエージェントは何になりますか?また利用したエージェントの良かったところと悪かったところを教えてください。
リクルートエージェント
Doda(旧 インテリジェンス)
を利用しました。
良かったところ
・最初に面談をしたコーディネーターの女性のお人柄と誠実さ
・面接した企業が年収を下げてくる提案をした時に、私を説得することなく辞退に応じてくれるという就活者ファーストな姿勢
・内定後も1年間、定期的な連絡や相談にも乗ってくれるフォロー制度
・紹介先が複数名候補者を抱えていることを正直に伝えてくれ、その中でも他の候補者に気持ちややる気は負けないということをメールで伝えるという手段に協力してくれたこと
悪かったところ
・希望とは異なる条件(職場環境や最寄り駅)や知らない企業を複数紹介され、案件を確認・調査するだけで疲弊してしまうことが多々あった
・正社員希望にも関わらず門戸は広げた方が良いという理由で契約社員の案件を多数紹介してくるコーディネーターがいた(そのコーディネーターの成績につながるからだという疑心を抱いてしまったため、後に担当者変更をお願いしました)
ありがとうございます。
内定をもらえたという現在の会社に関して、面談の際にどのようなところを評価して内定をもらえたと思いますか?
業務遂行中にミスやトラブルは避けられない。
その時に私自身がどう考え、動くかという説明をし、そこにつよく興味関心を持ってくれたのでその点だと思います(具体的には自分原因論の思想ではあるが、疑問に感じることや改善への提案、推進する可能性に期待してくれた)
他には英語が使えること、数年ではあるが営業経験もあるため外部とのやり取りもそつなくこなせることも即戦力として評価頂いたと思います。
なるほど。最後に、過去のあきてぃ。さんと同じように個人で努力しても仕事のやり方を変えられない環境にいる人へ向けて何かアドバイスをもらえないでしょうか。
<上司や同僚との人間関係が良くない場合>
人事や労務に
・何がどのようにうまくいっていないのか
・職場環境や仕事のやり方を変えたいのに変えられない理由
を相談する。それでも人事労務が寄り添ってくれないようでしたら、会社の「現状」があわないのだと思うので、自身が体を壊す前に退職・転職を視野に入れた方が、長い目で見た場合英断になると思います。人生においてそれは「逃げ」ではなく「選択」だと私は思っています。
<上司や同僚との人間関係が良好な場合>
感情論ではなく今問題となっていること
・残業時間
・業務量
・自分のスキル
・仕事に向いていないと思っている理由
を理論的に説明できるように資料化して相談する。
資料化という手間で愚痴ではなく誠実さや改善したいという前向きな印象をもたせることが大事。
状況別にわかりやすくありがとうございました。以上があきてぃ。さんへのインタビューでした。