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疲労と勘違いしがちな休日何もできない症状への対処法とは

疲労と勘違いしがちな休日何もできない症状への対処法とは

「仕事が心身ともに辛くて休日は元気が出ない」

「土日エネルギーチャージしておかないと平日元気が出ないので何もできない」

編集長も過去にそのようなことがあったのでわかります。

殺伐とした職場に耐えてようやく訪れた休日に何もやる気が起きないので動画見てスマホやPC触って1日が終わって不毛に終わってしまう。

その代わり次の平日への心構えというか月曜日への覚悟みたいなものも決まる感覚がありました。

しかし「休日何もできない」という状態は実は休めておらずむしろエスカレートして日常に支障をきたすケースさえあるとのこと。

要するに鬱とも関わりがある行動とも言えます。

この記事では「休日何もできない」という人が起こせるアクションについて理解できるようにまとめてみました。

「休む」に対する勘違いをなくす

休日にベッドの上でごろごろしながらネットサーフィンや動画をみることは休むことに思えますが脳は大量の情報を処理していることには変わりないため疲労はしています。

加えて体を動かさなかったり、何かやったという充実感も得られないこともあるためより負の感情ばかり刺激してしまう可能性もあります。

もちろん毎週同じことを繰り返さないのであれば良いのですが同じことばっかり繰り返しているとやっていることに新鮮味がなくなり仕事モードの気持ちが抜けきれないなんてことにも。

つまり「休む」とは家でじっとしていれば済むわけでは必ずしもないということです。

気持ちの「休む」とは仕事モードの気持ちを抜いて別のモードに切り替えている間に取ることができるものです。

睡眠の取りすぎ注意

十分な睡眠は心身の回復に必要不可欠ですが過剰な睡眠は逆に身体に疲労を蓄えます。

睡眠サイクルもズレてしまいますし休日の時間も減ってしまい「休む」行為ができなくなってしまいます。

また自律神経を乱れさせたりそれが頭痛を引き起こしたりと良いことがあまりありません。(本当に睡眠不足で一気に寝てしまうという場合はもちろん別ですが)

脳は新しい情報でリフレッシュする

脳のリフレッシュに関する情報は色々ありますが編集長の体感的にもこれは間違い無いなと思うものに、「脳にとって既知であることと未知であることの半分半分であることをするときがもっとも脳がやる気になる」というもの。

新しすぎることをすると脳はすぐに疲れてしまい逆にリフレッシュできなくなってしまいます。

そこで挑んだことはあるものの中に知らない要素を追加したり少しずつ今までしなかった世界に飛び込んでいく。といった慣らしを間に入れておくことでリフレッシュしやすくなることでしょう。

「しなければならない」でやると逆効果になる可能性

土日は何もできずに引きこもり期間が長くなってしまうと心配してくれる人もたまには現れて「たまにはどこかへ行った方が良いぞ」とアドバイスをくれることもあると思います。

言われた側からしたら大きなお世話ですし、他人に言われていくということにストレスを覚える人であれば行く直前まで「今日はお誘いに行かなければならない」と義務的な気持ちになってしまい気持ちが全然休まらないと言ったこともあるかと思います。

矛盾しているかもしれませんが単純に外へ出ればいい、というものでもないというところに注意が必要です。

やりたいことをやっているという感覚を得る

編集長が土日に家に引きこもる以外に何もできなかった頃はやりたいことをやっているという感覚がありませんでした。

仕事=義務感という気持ちで挑んでいましたしだからこそ嫌な仕事をなんとか続けていられました。

そうこうしていると「自分のやりたことをやっている」という気持ちが何に対しても持てなくなりました。
そのせいか次第に土日は家でネットサーフィンをひたすらしているような暮らし方になっていました。

ライブ観戦にいく

そんなときに今のままでは気持ちが落ちていっては元の状態に戻れなくなってマズイ状況になると直感的に危機感を覚えていました。

そこで好きなハマっていたアーティストのライブ観戦にいくことに決めました。初めて会社で有給申請をとって県外へでて日帰りでライブ観戦をすることに。

そのときに自分のやりたいことをやってる時ってやっぱり気持ちがいいな。という月並みな感想ですが嘘偽りない「自分がやりたくてここにいる」という充実感が得られました。

それから少しずつですが自分なりに主体的な行動をするようになって結果として会社は辞めてしまいましたが自分の感覚だからこそわかる自分のペースで仕事ができるようになり現在に至るようになりました。

自分の気持ちを観察する

編集長の一つの体験としての本質的な意味での心身の休息とは、自分の本心でやりたいことをやっているという感覚だったのかなと振り返ってみるとそう思いました。

しばらく会社で感情を殺しながら生活を続けていると次第に自分の気持ちを理解できなくなります。

そうすると理論的に正しいことと自分の気持ち的に正しいことの判断がつかなくなり、「頭でやりたいこと」と「気持ちでやりたいこと」との区別がつかなくなります。

例えば休みの日にも資格勉強ばかりやったり、仕事に関することばかりやりすぎてしまうとコストパフォーマンスを意識していたのにも関わらず急に身体が動かなくなってしまうような鬱状態になる可能性は誰にでもあります。

そこで自分の気持ちを観察できていればそのようなことになる前に上手なガス抜きができるはずです。

自分と向き合うことをやる

「休日何もできない」の症状がひどくなると生活に支障をきたします。

例えば家賃は滞納し、税金も滞納したりと通常時であったり職場であれば絶対にしないようなことを無気力からか手をつけられなくなってしまう人もいます。

そこまでいくと心療内科も検討に入れるべき段階ですが、それより前の人でもそうなってしまう可能性は十分にあります。

おそらく「何をしたらいいのか全くわからない」「何かをやろうとしても頭がぼーっとして何もできない」と思うかもしれません。

その場合は瞑想をしたり、自然の中でぼーっとしたり、自分を見つめることや自然体になれる行動を積極的にとってみてください。

そして小さな小さな行動に対して自分がやりたくてやっているという実感を持つことの積み重ねが状況の改善に通じると考えています。

たとえ「ぼーっとしている」という行為であっても「ぼーっとしたいことをやれている自分だ」という感覚を持つ、これを繰り返すことです。

編集者も根本的には自分のやりたい気持ちに対して迷走していたことが当時の休日の無気力につながっていたのかなと考えています。

まとめ

休日何もできない、というのは身体からの小さなSOSかもしれません。

もちろん仕事でプロジェクトが詰まっていてそれから解放されて数日間は何かに手がつかないといった一時的な何もできなくなってしまうイベントというのはあります。

そうではなく、習慣的に休日何もできないことは一時的に気持ちをごまかすだけで根本的な解決には至りにくいと思いますので、少しずつ改善していくように努めると今より良くなっていくのではないでしょうか。

何はともあれ心身ともに回復させていくには絶対的な時間がそもそも必要になります。

休みがほとんどないような環境で働いていると精神的に病んでしまうリスクが高くなってしまうため注意が必要です。

多少年収がいいからと休みのない環境で働き体調を崩して今後ずっと気持ちを引きずるより、休みがしっかり取れるところへ環境を変えてみる方が自分のためにも会社のためにも通じるのかなと思います。